第十話:磯部綾子 〈中編〉

 

 

 黒き聖母とも、醜く歪んだ母性像とも取れる妖婦。

 羊水に浸り、胎児のように丸まって惰眠を貪り続ける磯部綾子の身体が、一瞬だけ動く。 羊水に無数の気泡が浮かび、身体は震える。

 

――――何かが、何者かが、この〈世界〉を揺り動かした?

 

 しかし、その震動は微細すぎる。物理的ではない、魔術的でもない。ただ、何か途方も無い元始さ。だが、感じただけで脅威に至らない。脅威なら先程〈魔剣〉と名乗った者と、〈金眼〉の少女のほうがよほど脅威。〈現世〉であれば〈その上を行く〉、〈黒い天使を従えた男〉と〈金色の聖鳥となる女〉。

 この二名を真正面から闘うというまともな〈手段〉は〈現世〉には存在する〈法〉がない。だが、〈磯部綾子の世界〉には存在する上、幾らでも〈法〉は創れる。

 何故ならば、ここは〈異素〉を司る世界。それを繋ぎ止める彼女。過去に〈脅威〉と〈愛憎〉、〈心的外傷〉を刻み込んだ〈人物〉の〈型〉を作り上げれば、後は〈中身〉が勝手にやってくれる。

悪夢とするの意味が込められた磯部の隠し名。ただの〈虎の衣〉ではなく、〈磯部の世界〉は〈現実〉。ゆえに〈悪夢〉として成り立つ。

 〈最強〉や〈絶対〉を覆す〈無敵〉にして、難攻不落。

 その〈異界〉が根底から震えた。それは何故なのか――――?

 

――――別に・・・・・・・・・気にする必要は無い・・・・・・・・・私を傷付けることの出来る者など、誰も居ない。この〈異界〉を広げた瞬間、〈異界〉に入った人間は遅かれ早かれ、〈眠り続ける〉のが宿命(さだ)めだから――――。

 

 怠惰を貪る眠りを求め、薄く口元に微笑みを残すだけに留まった。

 

 

 異界内。精神科リハビリルーム。

 

 埋め尽くすは異界の産物たる〈使い魔〉達。

 向かい撃つ三名は〈禍神〉の〈家系〉。

 数は〈使い魔〉が圧倒的。その数は三〇すら超えている。否。空間をガラスのように割って次々と増え続け、リハビリルームの全てを覆い尽くそうとしていた。

 前後左右に広がる〈使い魔〉を前にし、真神京香はクスクスと笑いながら見渡した。

 

「数は一丁前だな」

 

 〈永久(モリガン)〉を一振りし、弾丸装填。しかしこれは揶揄だ。本当はこの〈モリガン〉に弾丸は装填されていない。まして弾丸そのものすら存在しない。だが、所持者の魔力を吸収して魔弾を自動生成する。つまり――――弾丸の威力がそのまま魔術師の〈魔力量〉を意味する。

――――死と終わりを司る銃の名と、誕生と生命の象徴たる太陽神を降魔する真神京香。

 無尽蔵に所持者の魔力を吸い尽くそうとするこの〈魔銃〉は、凡百の魔術師が触れただけで吸い尽くす。しかし、吸い尽くせれば――――生まれ続け、元始を生み続ける(サガ)の太陽を。

 

「相変わらず・・・・・・・・・すごい威力ですね・・・・・・・・・?」

 

 呟きながら京香と背中合わせになる美殊はチラリと、宝石と髑髏の装飾が施された銃へ視線を向ける。

驚愕はしない。ただ、荒唐無稽の威力には呆れすらある。

美殊はこのウィンチェスターに一度だけ触れたことがあった。だが、触れただけで丸一日動く事すらままならなくなるほど、魔力を持っていかれた。この銃を操るには、卓越した魔力制御と膨大な魔力が必衰。

 そして、先程の一発は――――美殊が持つ魔力の絶対量と同等である。

 

 

 美殊は謙虚でも恐縮するでもなく、己の技量を気付きもしないで自嘲しているが――――凡百の魔術師なら触れた瞬間、廃人となる銃を〈触れる〉ことが出来た事すら知らない。

 

 

「そうか? 誠の頭上もあって、かなり加減したんだけど?」

 

「本当かよ!? 前髪ちょっと焦げたんだけど!?」

 

 前髪を弄くりながらも誠は京香と美殊の背後へ回り、両拳を開いては握る――――何時でもスタッズの拳で迎撃出来る体勢。

 言葉とは裏腹。肉体は既に最善の動きをしようと意志の根底を裏切って、体勢を整えていた。

 

「悪かったてぇ? そんなに怒ると、か弱いお母様は泣いちゃうぞ?」

 

「・・・・・・・・・ごめんなさい。文句言いませんから冗談でも言わないでください・・・・・・・・・」

 

 冗句で場を和ませようとした京香だったが、息子の誠は涙目の抗議。しかも脅え口調。もう嗚咽すら隠そうとしていない。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 誠のマジ泣きにドン引きする美殊と京香。

 京香は普段の自分を省みそうになり、美殊は美殊で実の母にどのような印象を持っているのかと、誠に問い掛けたい衝動を呑み込んだ。

 

「とりあえず・・・・・・・・・どうします? この〈使い魔〉?」

 

「そうだな・・・・・・・・・・・・増え続けてるな――――」

 

 意図的過ぎる美殊のフォロー。しかし、それに乗って京香は気分を変えた。美殊の配慮に心の中でザブトン二枚進呈する。

 

「まぁ? ヤる事は変わりねぇし・・・・・・・・・つぅーか、こんな〈数〉で?」

 

 物足りないと言わんばかりに鼻を鳴らす京香。

 

「本当――――見縊られたモンだぜ?」

 

 この私が? 何で雑魚を相手に?

 言葉以上に解るその好戦的な瞳で見渡し、「教えてやるぜ? 〈真神〉に手を出した事の意味を。そして――――」

 快活な笑みを一〇〇に達そうとする〈使い魔〉を前にして、

 

「〈真神〉三人を相手にした意味もな?」

 

 それを合図にしたワケではない。だが、三者は同時に駆けた。弾丸でもなく、疾風でもない。触れた者を全て巻き込む迅雷の如く。

 

「ウォオオオリャ!」

 

 先制は誠。手近の上半身が下半身の〈使い魔〉へ、大振りの左フックを叩き込む! 轟音と慣性衝撃! 右へ吹っ飛ぼうとする物体! だが、それよりも疾く激しい右フックが既に放たれていた。そこから勢いと喧嘩仕込みとしか言いようのない、左のハイキックで逆方向の慣性を生み出す! そして吹っ飛ぶより前にハイキックから繋がる、地を這うような左アッパーで腰を支点にして高速回転する〈使い魔〉は、京香の頭上へ。

 その京香は正面にいた身体中が刃物の〈使い魔〉に、針の穴を通すほどの正確さで蹴りの連打を浴びせていた。

 刃物のない膝裏へ右ローキック。そこから腰と左足の連動だけで左脇腹を! そして頭が沈んだ瞬間に、一番無防備の後頭部へ踵落とし! それら全ての連激を右足一本で遂行!

 

「母ちゃん!!」

 

 誠の声に反応。そして、右足で踏みつけると同時に跳躍! 土台にされた身体中が刃物の〈使い魔〉は床に亀裂が疾るほどめり込み、青い血飛沫と共に痙攣。

 跳躍した京香は誠が吹っ飛ばした〈使い魔〉に対して、両足の乱舞が〈使い魔〉の身体に叩き込まれ、止めとばかりに左足は顎を跳ね上げ一回転。天井へ突き刺すような愚は犯さない。調整した蹴りの威力により、攻撃とともに新たな浮力を持たされた〈使い魔〉へ、さらに右逆回し蹴りの一撃によって、そのまま美殊へ!

 その美殊は正面にいた両手が鉈の〈使い魔〉に対峙。顔面に轟音で迫る右腕の突きを回避。そのまま右掌に沿えた符札でクロスカウンター。強かに掌底を喰らった〈使い魔〉が蹈鞴を踏み、額に貼り付けられた符札が紫電を発しながら六対の〈帝釈天〉が、〈使い魔〉の内側から召喚される。肉片と青い血飛沫を撒き散らし稲妻の剣士は現れ、六体の剣士たちはさらに波状へと展開。美殊の前面に広がる敵を薙ぎ払うべく、太刀を振るう剣士。

 

「美殊ぉ!」

 

 視線を反射的にこちらに吹っ飛んでくる〈使い魔〉へ向け、ポケットから素早く符札を取り出す美殊。

 帯電する符札。雷電が騎士を形成。美殊の〈雷〉により、〈現顕〉した〈建御雷神〉が両手剣を握り締め、すでに構えている。四番バッターのようにボールと化している〈使い魔〉へ豪快なフルスイング!

 剣腹に直撃し金属の反響音がリハビリルームに鳴り響く!

 

「誠!」

 

 すでに誠は自身に群がる〈使い魔〉達を殴り倒し、京香から美殊へ経由された〈使い魔〉に向かって跳躍!

 

「オラオラオラオラオラァア!」

 

 天井に背を付けた〈使い魔〉に容赦無しの〈逆〉マウントポジション。馬乗りになっての暴打をぶち込み続け、飽きたとばかりに京香へと殴り飛ばす!

 

「今だ! 母ちゃん!」

 

殴り飛ばした〈使い魔〉を追うため、天井を陥没しながら疾走!

 

「合わせろやぁ! 誠ぉ!」

 

地上に降り立ち横に並んだ誠へ、京香の烈声。

二人のテンションは天井知らずに高まり続ける。

誠は〈獣化現象〉――――〈憤怒の魔王(サタン)〉に変貌を遂げ全身から黒い魔力を纏い――――京香の背には、〈天照(アマテラス)〉の後光と白銀の閃光が輝く!

 

「「うぉぉりゃああああ!!」」

 

 重なる〈魔人〉と〈女王〉の怒号。

 疾駆する、剛焔の白銀と蹂躙の漆黒。

二人は床を抉るように蹴り、猛スピードで掛け疾る! 魔力を纏い、自らを弾丸とする!

一周した〈使い魔〉は見るも無残に爆砕! さらに埋め尽くす〈使い魔〉をゴミのように巻き上げた!

轟音と突風は二人が駆けた後に追いつき、嵐と地煙が巻き上がる中で二人は既に行動を開始する!

誠の甲殻は両手足だけを残す。未だ〈魔王〉変化には一呼吸分のペースが必要だった。先程のように〈全力〉だと、一瞬で甲殻は解けてしまう。

しかし、一番の巨躯を誇る〈鬼〉と互角の勝負は可能。京香の顔面に振り落とそうとする左拳を、誠は受けて立つように防ぎ切る!

破壊鎚でブチ当てた撃音を背に聞きつつ、京香は巻き上がった敵の内、両腕が鉈となっている〈使い魔〉へ跳躍しての肉迫。

変幻自在の両足から繰り出される乱舞により、両腕の鉈が一撃に砕かれ、四肢と言わず全身五体が蹴られた方向に歪み続ける〈使い魔〉に、止めと〈モリガン〉の銃口から轟然と火柱が噴く!

魔弾にぶち当たった〈使い魔〉が向かう先は、待ち構えている美殊。しかし美殊は高速で突っ込んでくる〈使い魔〉の真上を跳躍し、天井に両足を付けて体勢を整え、移動を完了し終えた京香と背中合わせとなる。

ニヤリと笑う京香を見て、美殊も小さく頷く。

 

「やるぞ! 美殊!」

 

「ハイ!」

 

 真下へ〈モリガン〉を轟音と共に発砲! 広がるショットシェルは群がる〈使い魔〉に浴びせ、常識的なショットガンでは考えられない広範囲を見せつけ、床に幾何学的な弾痕が刻み込まれる!

 火炎で描かれた真神家の家紋――――その家紋の中心部へ、美殊は符札を持った左手で叩き付ける!

 〈火炎〉が〈雷〉へ変わる。稲妻を纏いし毒蛇の顎が敵を巻き込み、黒焦げにしていく!

 広範囲に広がる稲妻は、力比べで誠と衝突を繰り返す〈鬼〉を照らす!

 両拳を膂力の限り押さえ込む誠と、体躯から筋肉の質まで人間とは比べられない〈鬼〉。しかし、その膂力は拮抗している――――否、誠が少しだけ押していた。

 ギリギリと後退を余儀なくされる〈鬼〉の表情には、人間で言えば驚愕の表情と唸り声。全身の筋肉を隆起させ、凄愴の憤眼で徐々に押し込む誠を見下ろし、目を剥いていた。

 その目にあるのは、京香の頭を吹き飛ばそうとした〈鬼〉に対しての激情。巨大さも、力の差も関係なし。激怒だけが全てを根底から崩している誠の憤眼を、真正面から見た〈鬼〉は恐怖のあまり身体を震わせる。

 見てはいけない〈モノ〉を・・・・・・・・・〈檻〉と〈鎖〉に繋がれた〈破壊者〉と、眼が合った。

 刹那――――怯む〈鬼〉。

 その一瞬の隙を逃さんとばかりに、強烈な前蹴りが〈鬼〉の腹部に直撃する。

 先程の破壊鎚よりも盛大でなお、生々しい異音を発して中を浮く〈鬼〉。

それを見ていた京香が美殊へアイコンタクトで促す。頷く美殊は誠と〈鬼〉へ向かって疾走! 

誠の背から鎖が音を立てて飛び出し、その背中に合わせになった美殊は、召喚した〈帝釈天〉、〈建御雷神〉も呼び戻す。

 

「ヤるぜ! 美殊!」

 

「ええ!」

 

 誠の右手と美殊の左手は繋がる。

 美殊の右手には〈建御雷神〉、〈帝釈天〉の印が描かれた符札ではない。そして美殊の直筆ではない。〈女王〉京香直筆の符札。タクシーの中で渡された真神当主が書き入れた符札であり、これをもって初めて美殊は〈神〉を限り無く〈構成(マテリアル)〉出来る。真神家当主代行の真骨頂たる〈神〉は、美殊の背に誇らしいほどの巨躯を放電で纏い、稲妻の破壊鎚を握り締める。その姿は〈雷神トール〉。北欧神話の武〈神〉。同時に誠の背から伸びた鎖を掴み終える〈帝釈天〉、〈建御雷神〉の武人達。

誠の左肘から甲高い擦過音が鳴り響き、隆起する極太のマフラー。その噴射口から火柱が放射され、時計周りへ猛スピードで回転し始める!

左腕の拳で巻き込まれ、稲妻の破壊鎚と剣の群れに薙ぎ払われるその様は正しく竜巻!

〈鬼〉の巨躯を竜巻はかち上げ、周りに居た〈使い魔〉達は稲妻の放電で次々と黒焦げとなっていく!

その凄まじい暴風を見て笑う京香は、銃身に取り付けられた髑髏の目と口腔から紅い魔力の迸りと紫電を放ち、銃口へ急速に魔力を集結させ、竜巻の終わる頃を見計らい二人へ合流。

 三人のテンションは今! 頂点を越えた! ぶっちゃけ、Over Zenith!

 京香を中央とし、左手側には美殊。右手側には誠。

 

「みんなの力を貸してくれ!」

 

 言葉遣いが変わっている事などもう、気にしない。てか、どうでもいい!

母たる女王の怒号に、美殊と誠は中空にいる〈鬼〉へ向かって弾丸の如く飛翔!

 美殊は引き連れた〈帝釈天〉と〈建御雷神〉の斬撃を叩き込み、誠は右肘から飛び出したマフラーのような穴から魔力噴出した、あの〈アスモデウス〉に駄目押し(・・・・・・・・)した一撃!

 〈鬼〉下半身を粉砕しながら二人は交差し、壁と天井を蹴って跳躍した京香へ並ぶ!

 

「「「うおおぉぉぉぉぉぉ!!!」」」

 

 〈モリガン〉の銃口で〈鬼〉の顔面に突き刺し、発砲する京香! 〈太陽神〉の魔力から〈死の女神〉が作り上げた魔弾により口内を蹂躙され、脊髄から無数の肉片が内側から爆発する!

〈帝釈天〉、〈建御雷神〉が剣先を突き立てる! 〈鬼〉の全身はハリネズミのようだ。自身も稲妻を纏う〈雷神トール〉の符札を叩き付ける美殊!

 〈憤怒の魔王〉と成り、闇すら染め上げる四翼を広げ、スタッズの拳を胸板にぶち込む誠!

 〈異界〉の床を炎、稲妻、暴気によって削られていく。

踊る火焔が〈トライバル〉の円を描き、跳ねる雷が〈五芒星〉を象り、獰悪に猛る〈気〉が切り裂かんばかりの〈剣〉を形成する!

 三人が描いた〈真神〉の家紋たる〈火炎(かえん)五芒(ごぼう)星剣(せいけん)〉。この世全てに現顕する〈天使〉、〈悪魔〉、〈精霊〉の〈天敵〉であり〈支配者〉を意味し、全てを焼き(はら)う昇華と魔焔の(シール)

誠の背に描かれた〈七重封印結界〉には〈剣〉はない、似て非なる形。

その印の周りにいた〈使い魔〉を吸い込み、そして巻き込みながら火柱が上がる!

 

「還れ。霊脈の流れのままに・・・・・・・・・」

 

 何気に決めポーズも取ってしまっている真神親子のバックに赤、青、黄色の爆焔が踊り狂う!

 

焼き尽くされ、形も無く消えていく〈使い魔〉を見ながら――――誠は(あれ? これってバレーだったのかな? てか、そんな暇とかは無いような・・・・・・・・・?)と、胸中で己を鑑みるセリフを呟く。

 

(野球・・・・・・・・・・・・じゃないことは確か。でも、京香さんはサッカーっぽかったような?) と、今更自分達は何をして、どのようなルールで戦闘をしていたかを思い出そうとする美殊。

 

テンションが無くなったせいであろう。冷静に先程己が選んだ手段を鑑みる二人の子供に、京香は何食わぬ顔ですっきりサッパリとした笑顔。

 

「さて・・・・・・・・・」

 

 京香は一つ伸びをしながら、にっこりと顔を愛しくて堪らないバカ息子へ――――。

 

「誠の封印をしなきゃ――――って?」

 

 首を向けるそこには、バカ息子は存在していない。点で人物が消えていた事を表すマーキングすら無い。

 

 タッタッタッタッタッタァ――――。

 

 遠くの何処かから、疾り駆ける足音に京香のこめかみから一筋の血管が浮き上がる。誠は既に危機を察して逃げた後だった。

 

「追うぞ! 美殊!」

 

 逃げ足、追い足(・・・・・)が以上に長けた義兄の特性くらい美殊は判っていたが、それでも鮮やかな()()りに呆れる前に驚きすら感じた。

 〈最強〉、〈獅子〉、〈女王〉と詠われている真神京香すら気付かせない逃げ足(・・・・・・)など、そうそう在ってはならないことなのに。

 

 

 

 六時ジャスト。黄紋町国道。

 

 第二車両を思い切り良く捨てたマジョ子。

これから赴く場所は、〈異界〉という未知にして異常が常識の空間。

魔術具を徹底的に詰め込み、改造を施したハマーに乗り込んだ部隊長。巳堂霊児と合流後、彼女達もまた〈女王〉と〈女教皇〉の遭遇を阻止するべく、向かっていた。ただし、マジョ子が送り向かい用に使用するハマーはリムジンカスタムという、出鱈目の総合芸術品。

後部座席はハマーのカスタマイズもあって、広々とする空間。だが、巳堂霊児は恐縮していた。右隣にはマジョ子、左隣にはジュディーに挟まれている。女傑と表現しか出来ない両名ですら手に余るのに対し、対面には異様で言いようのないホラーな迫力と、異常に血走った眼をするサラ。

これならまだ、メイド二人よりも話の通じるアラン。そしてレノの方が気楽である。だが、アランは助手席に座している。そしてレノが運転席で安全運転中。このイカれたリムジンを鮮やかに走らせていた。

別に女に免疫が無いわけではない。ただ、苦手な種類に入る女に囲まれれば、誰だって困惑してしまうのは仕方が無い。

霊児は女に慣れている方である。〈青い〉、〈ウブ〉という理由でもないし、とっくの昔にそれらは過去の遺物で、俗物な類の全てが何一つない〈未完の聖人〉。

ただマジョ子が何故隣に座ることと、挟むようにジュディーがいること。そして、サラは何故ナイフ片手でこちらの挙動を観察するかのかが、判らない。

 

「間もなく大学病院に着きます。頼みましたよ? 霊児さん」

 

 大学病院は既に〈異界〉。術者の都合と、気分に作用される空間。常識が全く通じない空間。どれほど〈魔術〉を極めようと、どれほど〈物理破壊〉に精通した魔術師でも、〈精神物質〉だけは〈破壊〉し切ることは、まず難しい。

神殺し(スレイヤー)》に列する三人なら、極大の魔術を内側で行使して内部破壊可能かもしれないが、入院患者まで巻き込む被害は確実に出てしまう。

〈現在〉に進行する方向性の力全てに、耐性がある空間。その上、浸食系である。つまり、範囲を広げ続けているため、一部破壊では無意味。徹底的な大破壊でしか意味をなさない。だが、全てを過去形にしてしまう――――〈斬る〉ではなく、〈切った〉という概念で結び付けてしまうことを平常とする、〈達人〉は世界には存在する。

 

「癪だけどさぁ〜? あんたが頼りなワケよ? アンタ居なきゃ、誰が好き好んで〈異界〉なんて行くかってぇの」

 

 ジュディーは鼻で溜息をして、膝を組み直す。

 

「そう・・・・・・・・・存分に・・・・・・・・・八つ裂切っちゃっていいよ・・・・・・・・・」

 

 とてもおっかない微笑を向けるサラに苦笑するが、内心では〈異界〉を括り作り上げている人物にはある種、同情的でもある。

 ハマーに乗り込む際、マジョ子から一通り素性を聞かされていた。

 

 

『磯部綾子。年齢一六。今年で一七。両親離婚の際、イジメが多発。コンクール出展予定だった絵を燃やされる。カバンを隠すのは日常茶飯事。机の上に花瓶、落書き・・・・・・・・・まぁ、この〈程度〉で自殺未遂を四回するくらい、アマちゃんな奴です』

 

 手厳しい感想を持つマジョ子。

 

『自殺する度胸があるなら、イジめる奴らを片っ端からぶっ殺せば良いと思いません?』

 

 それじゃ何の解決にもならないよマジョ子――――声に出す暇も与えず、

 

『羨ましいくらいですよ・・・・・・・・・両親の〈離婚〉くらいなら――――そうは思いませんか? こんなことで〈絶望〉に浸れる奴って? 本当、トコトン幸せで羨ましいですよ』

 

嘲笑するが、語尾はとても弱々しい。〈連盟〉を代表する魔女の過去を少なからず知る霊児には、それが判る。どれだけ〈辛かった〉かを。

マジョ子もまた〈聖堂〉の〈聖剣〉が持つ過去を知っているから、問い掛けている。〈本当〉の生き地獄を経験した人間として。

 

『まぁ・・・・・・・・・しゃーないさ? 所詮、人それぞれの物差しだよ』

 

『物差しですか・・・・・・・・・?』

 

『物差しだね。長い、短いじゃない。人それぞれ(・・・・・・)さ。一人として〈同じ〉物差しなんて無いもんだぜ? あったら気味が悪いだろ?』

 

『それもそうですね?』

 

おどけて言う霊児に、マジョ子は小さく噴出してしまう。そして、改めて霊児の器量に感心した。霊児にとって、磯部綾子を敵として認知していない。それは舐めている訳ではなく、ただの隣人として扱っているのだ。

美殊はこの部分を嫌うが、マジョ子にはとても嬉しい人間性である。身構える事も無く、また着飾ることも無く、素のままで接することの出来る雰囲気を作れる、その貴重な才能は名誉や名声など色褪せてしまう。

 

 

「八つ裂にぶっ斬るのはいいけどさぁ〜? 霊児? あんた? 本当に〈異界〉を〈切れる〉の?」

 

 疑問を口に出すジュディーに、マジョ子は回想から帰還して霊児へ視線を向ける。ちょうど赤信号に捕まったのか、車はゆっくりと止まる。アイドリングの震動が静かに響く。

 

「難しくはないぜ? やろうと思えば何時でも出来る」

 

 頼もしいと、口笛を吹きつつ口許に笑みを浮かべるジュディー。だが、そこにマジョ子が口を挟む。

 

「〈中心部〉まで、絶対にしないください」

 

警告というより命令すら感じる口調で言うマジョ子に、ジュディーは苦笑する。

 

「でもさぁ? 〈異界〉を切り払うのは早いほうが良いでしょう〜? 手っ取り早くヤっちまった方が――――」

 

「ダメだ。我々ガートス私兵部隊が援護し、必ず〈中心部〉にまで辿り着いてからだ」

 

「指揮官・・・・・・・・・・・・怖い・・・・・・・・・」

 

 サラの言葉にはっとなるマジョ子。ジュディーも驚いてマジョ子を見窺っていた。

 息苦しい雰囲気を作ってしまったことにバツが悪いのか、マジョ子は溜息を吐いて呟いた。

 

「七つある〈(チャクラ)〉を全開にして、切るんでしょ?」

 

「じゃなきゃ、切れないって?」

 

 マジョ子の心配顔とは裏腹に、霊児の顔は微笑すら浮かべている。

 

「一年前と二年前以来の《全力》ですか・・・・・・・・・・・・あの時ですら杖無しで立ち上がるのに半月掛かっていますよ? 一年前に至っては吐血しています」

 

「あぁ? あれね? 覚えてる、覚えてる。お前の病院には本当、世話になりっぱなしだったな? 心配するなって? 三十秒くらいなら負担はないって?」

 

 ケラケラする霊児。徐々に険しくなるマジョ子の表情。

 

「霊児さん? はっきり申し上げますが・・・・・・・・・あなたが〈輪〉を開くということは、〈王冠(ケテル)〉に繋がる〈深淵(アビス)〉の流れに引っ張られる・・・・・・・・・いや、違う。不完全で《歪》な《容》で六つの《輪》を開いたため・・・・・・・・・・・・・・・・・・霊児さんの〈肉体〉は現時点でも――――」

 

「三〇後半まで生きていたら〈奇跡〉って言いたいんだろ? しゃーないさ? 散々無理して生きてきた。それも《含めて》覚悟の上さ?」

 

 ジュディー、サラは眼を見開いて霊児を凝視する。

微笑の絶えないこの青年の命が、あと数十年しかない事実に驚きを隠せないでいた。マジョ子はそこまで解っていながらと、歯軋りする。

 

「今更だ。死の宣告なら、マジョ子に言われる前に言われている」

 

「誰ですか?」マジョ子の質問に霊児は肩を竦めて、

 

「五年前かな? 〈反対(アンチ・)命題(テーゼ)〉にね? 説教喰らっちまったよ。〈死に際を間違えている〉ってな? 〈散る華のように粋な死に様をして魅せろ〉ってな?」

 

 〈聖剣〉に説教? どんな奴なんだ? と、マジョ子は訝る。そのマジョ子の顔を見ながら面白そうに苦笑し、真っ直ぐマジョ子を見る。霊児の眼に諦念はない。死に行く者の眼ではない。

 

「安心しろよ? マジョ子? 今は〈死ぬ時〉じゃない」

 

 今ではない――――それでも〈長く無い〉。だが、意味ある生にはしよう。そう、暗に言う霊児に何も言えなくなった。

 行き着くところまで行ってしまっているこの聖人に、今更止める言葉は何もない。

 

「解りました。ですが、中心部に着くまで〈絶対〉に動かないでください。そうでなければ、降りていただきます」

 

「お前が作戦立案者だろ? 言う事くらい聞くぞ?」

 

 承諾のセリフに、マジョ子らしくない安堵の溜息を零す。後部座席の雰囲気が落ち着いて来たのを見計らっていたのか、レノが徐に声を掛けて来た。

 何故か未だに車を動かしていなかった。

 

「お話が終わったようですね? では、指揮官? 次のご命令を」

 

「うん?」

 

 怪訝になって振り向く。

 

「すでに我々は、〈異界〉に入った模様です」

 

 早く言って欲しいモノだとは、マジョ子は言わない。むしろ、好都合。大学病院到着どころか〈異界〉に入れば〈距離〉など無しに等しい。〈無限〉か〈最短〉の二択しかないギャンブル要素。それを逆手に取って、〈最短〉を選べるかもしれない。

 

「随分と早いな? 病院からどれ位離れている?」

 

「区二つ分です」

 

 鼻を鳴らして、いつもの不敵な表情を取り戻すマジョ子。

 

「そして現在、食人鬼(グール)の群れに取り囲まれています」

 

 レノは冷静に言うが、マジョ子は弾かれたように後部座席の窓を凝視する。防弾加工のハマーを緩慢な動きで揺さぶる群れに、マジョ子の顔は険しくなっていく。

他のガートス私兵部隊も忌々しいモノを見るように、剣呑な眼光で群がるゾンビーを射抜くように睨んでいた。

 

「おいおい・・・・・・・・・これって・・・・・・・・・?」

 

 〈吸血鬼狩り機関〉に属している霊児は、夥しい食人鬼を良く織っていた。否、織り抜いているために顔を顰める。

 

「〈吸血鬼(ヴァンパイヤー・)災害(タイフーン)〉か?」

 

「そうですね・・・・・・・・・〈食人鬼〉の大量発生は、〈一八回目〉です」

 

 言い切るマジョ子に視線を戻す霊児。マジョ子の顔に浮かぶ憤怒が痛々しい。

 

「あの(・・・)は〈八部衆〉の援軍と、〈怒る(アングリー・)飢え(ハングリー)〉が頭を殺ったから助かりましたが・・・・・・・・・」

 

 アランは腕を組み直して言う。

 

「忌々しいねぇ〜? 〈異界〉ってのは、人の過去にまで土足で上がり込むのかい?」

 

 ジュディーは煙草を咥えて、サラは何時の間にか取り出したノコギリ状のナイフを磨きながら頷く。

 

「・・・・・・・・・同情・・・・・・・・・出来なくなったね・・・・・・・・・指揮官?・・・・・・・・・・」

 

 不敵に鼻を鳴らし、マジョ子は運転手のレノに首を向け、

 

「轢け」

 

「イエッサー」

 

「へっ?」

 

 霊児の呟きも束の間。運転席のレノはレーサー使用のグローブを付ける。

 

「あと、アラン? (・・・・)な曲を流せ」

 

 暗い気持ちを払拭したいマジョ子の気持ちを汲み、アランは口許に微笑を作る。

 

「イエッサー」

 

「はぁ?」

 

 とことん無視してMDをセットするアラン。

 鉄の巨獣ハマーが唸りを上げ、車内流れる音楽は何故か――――ラップだった。

 曲のイントロと共に爆走を開始するハマー。群がる〈食人鬼〉は血飛沫地煙に巻き込まれ、次々と薙ぐように轢き続ける。

 

またやっちまったぜ♪

 

 アメリカンイングリッシュでレノは、アクセル板ベタ踏みでライムする。

 またって? 轢いたことあるのかあるのか!?

 

ジャイディが帰って来たぜ♪

 

 アランは言いながらリズムに乗って身体を揺り動かす。

 

さぁ、ダンスフロアに集合♪ ダンスフロアに♪ ダンスフロアに♪

 

 ジュディーもノリノリ。しかも綺麗なロボットダンスも披露する。

 

さぁ、ダンスフロアに集合♪

 

 何時ものブツギリ会話は何処に? と考えてしまうほど滑らかにライムするサラ。きっとカラオケに行くと豹変するタイプなのだろう。

 

オーライ、ストップ・・・・・・・・・・・・

 

 マジョ子の掛け声に車内の音楽も、私兵隊長もピタリと止まった。そして音楽も流れ始め、

 

 

「「「「「ハマー・タイム♪」」」」」

 

 

 重なる五人の声。ただし、車内流れる歌詞はパジャマ・タイムだと突っ込めない霊児。もう〜誰も! 付いていけないテンション。外は血飛沫ばら撒き、血がべったりと付着したフロントガラスを機械的に動くワイパーが払う音色と、音楽の合唱はまだまだ続く。

 

俺は全てのもんに手を出してきたさ、小さい男の子以外はな♪

 

 むっとした顔で歌うレノを睨むサラ。

 

おっと、別にマイケルを中傷してるわけじゃないぜ、だたのネタフォーさ♪ 俺はただのサイコ、ちょっとクレイジーになっちまうときがあるんだ

 

アランはカバーするようにレノへ続き、

 

ライムのことになると、どうも抑制が利かなくなっちまうのさ♪

 

 ジュディーが軽快に歌う中、マジョ子はジャックダニエルの蓋を取り、喉へと流し込むと続けてレノへ。

 

「ちょっと待て! マジョ子! お前、未成年じゃん! それに運転手に酒を飲ませるな!」

 

「べつに良いじゃないですか? それにここは国が規制する道路じゃないですよ?」

 

 何を今更と言った感じで小首を傾げるマジョ子。まぁ、確かにワインとかも平気に呑んでいたし、オレより酒は強い方だし。

 そんな霊児すらどうでも良いのかまだ〈Rap(犯罪容疑、罪という意味もある)〉は続く。

 

さてと、みんなを躍らせてやるぜ♪

 

 アランからサラ。サラはいきなりナイフの切っ先を霊児の鼻先に近づけ、

 

ボーイ、ケツ振りまくれ♪

 

 いきなりの脅迫で、本気で脅えてしまう。席を立ちそうになる霊児に首を振るサラ。

 

おっと、ガールだった。ガール、ガール、ガール、ガール♪

 

 車内じゃ無理だと、笑いながら返答するジュディーとマジョ子。

 

オラーイ♪ さぁ、ハメはずせ♪

 

 冷静なレノは何処に行ったのか、あおるようにライムする。

もうどうでも良いと、諦めてテンションの高い人々から眼を離して外を眺めようとする霊児。だが、首だけの食人鬼と眼があって、

 

Aaaaaaaaaahhhhhh!

 

「おっ? ノリノリ?」

 

 面白そうに銘柄不明の煙草を咥えるジュディーは、私兵隊長とマジョ子に配る。マジョ子は咥えた煙草をサラに向ける。サラは骸骨の装飾が施されたジッポーをトリックで火をつける。蓋の部分が骸骨の顎を形成され、ちょうど口を開いて火を噴く様になっている。深々と吸い込んで、マジョ子は紫煙を吐き出す。

 だから? お前、未成年だろ? と、外の風景はグロすぎて見れたものじゃないため、結局テンション高い連中へ視線を戻す事になる霊児。もうどうでも良いからと、諦めすらある雰囲気を醸し出す。

 

ここでラップがブレイク・ダウンするんだよな、普通」マジョ子は皆を見渡し、「みんなピリピリしてよ、誰も何の音もださねぇようにしてやがる」サラも囁くようにライムし、「今じゃ何でもかんでも『8マイル』みてぇだぜ」アランは肩を竦める。

だから? 何でみんな? オーバーリアクション? 霊児は奇人となった五人を見渡し始める中、

 

なぁ!? バトルに俺のこと登録しちまったのか? 俺は立派な大人だぜ♪

 

 底無しのテンションを誇るジュディーが叫ぶ。

 

Dubba、dubba、dubba、dubba、dubba

 

 レノの意味不明なセリフに首を傾げる霊児へ、マジョ子はケタケタ笑いながら、

 

ここはどんなライムがいいか思いつかなったんだよ、テビ、テレタビーズ♪

 

 それは知っていると頷く霊児。確かイギリスで放映して日本でも放映中の子供番組だったはず。

 

男共!」音楽に乗って叫ぶサラ。

 

「「何だよ!?」」応えるレノとアラン。

 

男共!」ジュディーに指差された霊児は溜息を吐きながら、「何だよ・・・・・・・・・・?」

 

 

「「「左のタマ握って、右のタマをヤキモチやかせてみろよ♪」」」

 

 

 ジュディー、サラ、マジョ子はライムすらハモって魅せた。

 

 

「ほわぁい?」

 

 

――――なんだって? えっ? 何それ?

 

呆然とする霊児を他所に曲はとうとうラストの余韻を残しながら終わると、煙草を咥えながらジュディーとマジョ子は霊児の頭上でハイタッチして、サラもそれに参加。アランとレノも何故かやっていた。

 

「えっ? なんでラップなんだよ?」

 

 今更の問いにHAHAHAHAHAHAの笑い声が、五重合唱。

 

「何? ハマーに乗っているから〈ハマー・タイム〉と掛けたかっただけだ。単なるギャグだ」

 

「ラップの意味がワカラネェ!!」

 

「えっ? あんなにノリノリだったのに?」

 

 マジョ子の疑問的な眼差し。

 

「もしかして、レイジ〜? ラップとか聴かないの?」

 

「アイス・キューブくらいなら知っている」と、不機嫌に言い捨てる霊児。「バニラ・アイスの・・・・・・・・・間違い・・・・・・・・・じゃなくて?」

 

「オフ・スプリングも知っているから! いちいち音楽ネタで攻めてこなくていいから!」

 

 突っ込み疲れた霊児は座席に沈み込みながら、紫煙に漂う不思議な香りに首を傾げる。

 

「何の煙草だよ? これ?」

 

 今まで嗅いだ事の無い匂いだった。

 

「マリファナ」

 

 サラが応えた。

 

「おい!? マジョ子さん!」

 

「何ですか? いきなり? それに今更じゃないですか? アタシは魔術師ですよ? 法律破って何ぼですよ? 銃だって携帯してますよ?」

 

「身体に悪いから止めなさい!」

 

「余命・・・・・・・・・・・・少ない人に・・・・・・・・・言われると、ちょっときついかも・・・・・・・・・」

 

 サラは渋々ながら煙草を灰皿に押し消す。続いてジュディーとマジョ子。アランとレノも静かになって煙草を消した。

 

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・・・・頭痛する」

 

 頭を抱えてしまう霊児。アメリカンジョークを飛ばしまくる車内に、ブラックジョーク満載の食人鬼が跳ね飛ばされ、肉と骨が異音を発している。

 

「やっぱ音楽掛けて・・・・・・・・・・・・」聴くにたえない外の騒音を少しでも消したい霊児の懇願に、アランは微笑みながらMDをセットする。

 

「今度は大丈夫だ。ロックバンドをチョイスした」

 

 ほっと溜息を吐いた矢先だ。いきなり流れ出すのはB級ホラーを思わせる音階。流れ始めたら止まらない五人も動き、縦に頭を振り続ける。

 

「――――次はホワイト・ゾンビーかよ・・・・・・・・・・・・しかも、サンダーキッス.65ね? はぁ、はははっ・・・・・・・・・」

 

 ボーカルの野太く、呪文でも唱えるような低いシャウトが車内に響き渡る。

地獄でハイになり――――オーヴァードライブ状態と来た。

 曲が折り返しになろうとした瞬間、鉄の巨獣たるハマーの側面が何かを叩き込まれる! 横転を数回繰り返し、鉄塊が宙を浮く!

 

「ランチャーか!? FUCK! 何処まで再現出来るんだ!!」

 

 アランは怒声を上げながら、ハマーのトップに拳を叩き込む! 一発でトップは吹き飛び、そこから全員が一斉に飛び出す!

 五階から飛び降りても無傷で着地する事の出来る彼等は、何の苦も無くコンクリートに着地する。しかし、戦士として鍛え上げられた彼等が目の前に広がる光景に、身動ぎも出来ずにいた。

 

 魔術兵士達が降り立った場所は、緋色の夕日と燃え盛る炎をバックとした廃都市。電柱が折れ曲がり、信号が赤を点滅させている。徹底的に破壊されたビジネスビルが墓場のように並び続ける先に、〈食人鬼〉の一群。

 〈食人鬼〉の群れは緋色と火炎を背にしている。悲鳴と絶叫を率いて、マジョ子達へと向かってくる。

 

Shit・・・・・・・・・クソッタレな場所だぜ」

 

 〈食人鬼〉の先頭は、迷彩柄を纏っている。それも、ガートス私兵部隊の装備を持っている。それらを一瞥してマジョ子は戦闘開始の烈声。

 

「野郎共ぉ! 戦友の供養だぁ!! 鉛弾を冥福の祈りにしろ!!!」

 

 

「「「「YHA――――HA!!!!」」」」

 

 

 フォーメーションの疾走!

 残る装備を手にして、地獄へ向かう五名。しかし、この五名は気付かない。巳堂霊児だけが、別の場所に〈飛ばされ〉たことを。

 

 

 

 異界内。

 

 走り去った誠を追いかけるため、私と京香さんは何処へと続くも解らない〈異界〉を走り続ける。

 

「あのクソバカ!! 夜中に一人でトイレも行けない分際で!」

 

 何年前の話しですか? 京香さん?

 毒づく京香さんの背中を見ながら、心中で突っ込む。

 

「ほらぁ! 怖かったら今すぐ叫べ! 音より速くそっちに行ってやるぞ!」

 

「そんな・・・・・・・・・都合よく――――それにいくつの時ですか?」

 

 そう私が溜息を吐いた直後である。

 

「おっ、おっ、お母さぁぁぁぁぁぁぁん!」

 

 ・・・・・・・・・誠ぉ・・・・・・・・・・・・あなたは何歳ですか?

 

「良し良し〜! いい子だぞ! 今行くぞ!」

 

 闇の中、声を頼りに直走る京香さんはさらにスピードアップする。私はその背中を見失わないようにするのが精一杯だ。五〇メートル四秒四〇で突っ走っちゃう人だもん。魔術無しで。素のまんまで超人ですね。

 どんどん小さくなる京香さんの背中を見失わぬよう、喰らい付くように目を離さない。しかし、音速を本当に突破しそうだった京香さんの足がピタリと止まった。

 

「?」

 

 怪訝になるものの、私は急いで京香さんの横へ立とうとした瞬間だった。

 いきなり京香さんは私を守るように視界を覆う。直後、直系五〇メートルも及ぶ岩石が真正面に肉迫!

 

 ――――何故! 岩石が!?

 

 私はあまりの光景にパニックとなり、何の身動ぎもできない。その同瞬、京香さんの手にある〈モリガン〉の銃口が跳ね上がり、躊躇無く引き金を引き絞る。

 紅き魔弾は岩石のど真ん中にぶち込まれ、こちらに高速で向かってくる岩石は亀裂を生む!

 魔弾の威力は完全破壊にして一目瞭然! 岩石は京香さんの手前で粉々の塵となり、向かい風の突風となって私と京香さんの髪を巻き上げるだけとなる。

 呆然としていた私の耳に、ギリギリと異音が聞こえた。何処からかと、訝しげに耳を立てると――――信じられないことに、京香さんの歯の音。

 肩は震えている。握る〈モリガン〉にすらその震えは伝播していた。

 

「京――――」

 

 私は声を掛けようとした。だが、それを遮るように――――小さな――――一拍手が聞こえ――――その音を辿るように顔を京香さんの背中から外した時だ。

 

「!!!!!!!!!!!」

 

 驚きで声すら失われる。いや、奪われた。

 風景はガラリと変わる! 粘つく闇は消え失せ、変わりにヘリポートの屋上に立ち竦んでいる自分。今見ている風景が全て、何の脈絡も無く変わっている事に、私は唾を飲み込み、悪い夢だと頭を振る。でも、ビル風が頬を叩き・・・・・・・・・その冷たさが現実と知って冷汗が頬を伝っていく。

上を見上げれば雨が何時でも降りそうな暗雲。その雲の中で時折、稲妻が奇怪な軌跡を残して何かを描く――――瞬間ではあった。だが、この目で確かに見た! 〈七重結界五芒星〉を! 誠の背にある〈封印結界〉の〈魔法陣〉を!

困惑し、狼狽する私を面白がるかのように拍手は未だに続き、私はその拍手の発生源へと眼を向けた。

男が一人――――立っている。背丈は一八〇の後半で中肉。ベージュのスーツを着こなし、黒いネクタイと革靴。そんな服装よりも、容姿――――そのあまりにも誠と類似する顔に、私の背筋は凍り付く・・・・・・・・・誠を成熟した顔と言うのか? 否――――むしろ仁さんだ。そう、仁さんとまったく同じ顔だ。鏡に映したかのように、そっくりだ。

ただし、仁さんの髪の色は白銀を溶かしたような白銀髪。そして、静かな湖のような黒の瞳。気高さと毅さから滲み出る魂を浮き彫りにする瞳と、力を分け与えてくれる微笑みが仁さんの特徴で・・・・・・・・・私は何度も、何十と救われた。

 

 

でも・・・・・・・・・その仁さんの持つ特徴が、ありとあらゆる部分で真逆(魔逆)の印象を持つ人物。

 

 

癖の無い髪は、人の負に属したモノを綯い交ぜにした闇の色。

瞳は昏く、暗く、喰らい憑かれるほど黒く――――底無しの黒に漂わせているモノは狂気、混沌の〈全て〉を織り抜き、持ち合わせる〈凶気の知性〉。

〈全知〉の瞳で見透かし、私を見ていた・・・・・・・・・気付くことすら出来ないほど、こちらをじぃーっと、〈霊視()〉て・・・・・・・・・ゆっくりと口許に笑みを浮かべる。

 

「ひっぃ・・・・・・・・・」

 

ニッコリと微笑むだけで――――私は全身を引き千切られる幻痛に悲鳴を上げて膝を折ってしまう! 吐き気と涙が止まらなくなる! 恥じも外聞も無しに、悲鳴と嘔吐を繰り返す。

無様――――でも・・・・・・・・・この人は、人であって人ではない存在。まるで・・・・・・・・・神すら踏み躙り、唾を吐くことが〈出来る魔神〉・・・・・・・・・。

 

「酷いな・・・・・・・・・〈霊視()〉を合わせただけで怖がるなんて――――」

 

 肉声は――――無機物、機械的でもない。感情があると解る。誠の声と、仁さんの声にも取れるほど似過ぎている。でも、でも、でも! 重圧が! 圧迫感が! 緊迫感が! 全身を嬲り尽くし――――心臓が悲鳴を上げ――――て・・・・・・・・・意識が・・・・・・・・・。

 

「何も、とって喰ったりはしないさ? 吐くほど怖がることはないよ? 君の実力がどれほどか〈霊視()〉たかったんだ。驚かせたなら謝るよ」

 

 バツの悪そうな感じの声。愛嬌すら滲み出す声。

だが、そのどす黒さは顕著。背に浮かぶ魔力の輪郭が、その人の内面を表している。

背後に浮かぶ陽炎は、禍々しい怒りの形相。ありとあらゆる〈容〉と〈命〉を噛み砕き、破壊することしか知性を回さない。

〈破壊者〉の毒気に当てられただけで、私は息をする権利すら奪われていた。

 

「〈贋モン〉風情が・・・・・・・・・」

 

 膝を折って呼吸困難に陥っている私の頭上で、剛毅にして神聖な太陽が呟く。

 

「調子に乗んじゃねぇ」

 

 怒声の余波が一瞬で炎の縁を形作る! 太陽を中心にして起こった爆炎の放射!

 私の全身に圧し掛かっていた重圧が、一気に燃え尽くされたかのように消えていく。

 

「上等だよ・・・・・・・・・贋モンが? 口数多いところも良く出来ているよ?」

 

耳に響く静かな怒声。

 

「しかも舞台セットも拘るか? てめぇが死んだこの場所とはな? えぇ? 〈狂気の全知〉、〈完璧なる大敵(パーペクト・エネミー)〉、あと〈混沌者〉だったか? そして――――〈黒白の魔王〉・・・・・・真神(まがみ)正輝(まさき)

 

 京香さんは静かに、恐怖と暴力の源泉・・・・・・・・・誠の叔父の異名を言う。

 しかし、名を呼ばれた当の本人は首を傾げて眉を寄せていた。

 

「誰だい? 〈完璧なる大敵(パーペクト・エネミー)〉なんてセンスの無いアダ名を言う奴は?」

 

 質問するその仕草、その口調・・・・・・・・・背中に虫が這い上がるほど怖気が走る。本当に――――誠と仁さんに似過ぎている。

 

「・・・・・・・・・・・・八九代目の女教皇」

 

 京香さんも吐き気がするのだろう。吐き捨てるように言う。

 

「センスの無い・・・・・・・・・まったく、センスが無い。引き千切って(・・・・・・・)正解だった。そのアダ名に相応しいのは〈反対命題〉だろ? 彼にこそ相応しい。そのアダ名は今度から彼に使ってやってくれ」

 

 同意を求める眼差し。しかし――――私はその前のセリフに驚愕していて、それ所ではない。

 今? 何て言っていた? 聖堂女教皇八九代目といえば、聖堂を一気に現在の勢力まで伸ばしたほどの戦士であり指導者。そして被免達人であり、〈女王〉と拮抗するだけの力があった人物・・・・・・・・・それほど名高く、誉れ高い人物を引き千切った?

 

「あぁ・・・・・・・・・もう良い。喋るなクソ五月蝿い」と、京香さんは鬱陶しそうに目を細める。「どうせ、私の〈記憶〉とかから引っ張った〈虚像〉だろ? 〈守護者〉の役回りなんだろが?」

 

 赤い髪を手で払い、大きく溜息を吐く京香さん。

 

「ちなみに君が息子の声と勘違いしたのは、僕の声だよ? こんな風に――――おっ、おっ、お母さぁぁぁん! ・・・・・・・・・って?」

 

 そう言って、先程の情けない母を呼ぶ声をする魔王は自分の声で、クスクスと笑う。

 

「――――喋るなって言ったろがぁ?」

 

 魔王の声を女王の声音が遮る。絶対零度の視線を魔王に向け、ウィンチェスター〈モリガン〉が跳ね上がる。

 

「〈天照(アマテラス)〉、〈モリガン〉憑依・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・え?」

 

 冷汗が背筋を駆け疾る。京香さんのセカンドスキル、〈自己中〉がこんな時に発動してしまった!

 太陽の無限熱量と炎が銃身を覆う。

京香さんの背後に浮かぶ太陽の女神と死の女神が、魔王に向かって腕を突き出す。

髑髏の両目が燃え、銃口からフレアが踊る。その魔力量は・・・・・・・・・山一つを余裕で塵に出来る・・・・・・・・・この〈異界〉を内部から爆発させる気だ!! まずい! 不味いわ! 〈異界〉にまだ誠がいるのに! それすら見えなくなってぶっ飛ばす気だわ! 横にいる私すら巻き込んで!

 

「おっ、おっ、お母さぁぁぁん! 待っ――――」

 

「消え去れ」

 

 私の制止なんて聞く耳無し!

 そして、放たれた太陽! さきほど岩石が小石と思えるほど、巨大な炎の隕石だ!

 走馬灯というのか・・・・・・・・・昔、京香さんが話してくれた〈神殺し〉のメンバー全員は、それぞれ極大超魔術を持っていることを思い出す。その威力は、地球上から山を一つ消し去る威力を誇る。〈神殺し〉というアダ名が付いた人は仁さんだけだが、その魔術の威力は凡百の魔術師にしてみれば、まさしく神すら屠る威力に等しい。

 その巨大で轟然たる太陽の隕石が魔王を飲み込む!

存在すら全てを焼き殺す炎が踊る中、感心したかのような笑い声。〈太陽の女神〉と〈死の女王〉の二重魔術を受けてもなお、静かな笑い声が響く。

 

「少しは成長しているようだね?」

 

 ――――太陽を・・・・・・・・・右手で・・・・・・・・・片手で・・・・・・・・・防ぐ魔王はにこやかに言う。片手だけを〈魔王化〉し、ボールの受け取るような素振りで〈太陽〉を止めていた。

 

「僕と初めて対峙した時の小娘とはとても信じられないな・・・・・・・・・あの時はゲエゲエゲエゲエ吐いていただけの君が懐かしいよ」

 

「四回も吐いた覚えはねぇ」

 

〈太陽〉を軽くボールのように真上へと放ると、太陽は〈異界〉の空を貫いて消えていってしまう・・・・・・・・・。

 神すら殺す〈女王〉の極大超魔術を、片手で防ぐ者・・・・・・・・・まさしく〈魔王〉だ。〈混沌〉と〈破壊〉を司る〈黒白の魔王〉。しかし、右腕の肘下からジグザクに折れている。真っ黒に焦げた五指の全てがあさっての方向を向いている。

 己の腕を一瞥して小首を傾げるが、鼻を鳴らして一振りする。

 轟風を巻き上げて、焦げた皮膚が吹き飛ぶ。真新しい皮膚が顔を表し、間接全てが元通りになっていた・・・・・・・・・その膂力は想像し難い。

全力の一撃が暗雲の中へと消えるのを見ながら、京香さんは鼻を鳴らしていた。京香さんはさほど驚いていない。むしろ、これが当然の結果と解り切っている表情だった。

 

「まぁーぶっちゃけ、こんな〈大道芸〉程度でテメェを()れるとは思っちゃいねぇ」

 

「負け惜しみ・・・・・・・・・と、言う訳じゃ無さそうだ。虚勢くらいは張れるようになってくれたのかい? 嬉しいよ」

 

 不敵な女王のセリフを、面白そうに見る魔王。

 

「こっからはマジで殺る」

 

 ウィンチェスターを棒術の如く振り回し、構えを取る女王。

 先程の攻撃は確かに全力。だが、戦闘の布石でも先手必勝でもない。ただの小手調べと暗に含ませる女王。

 

「そうか・・・・・・・・・なら君の相手になってやろう。ハンデは・・・・・・・・・こんな感じかな?」

 

 魔王はそう言い――――デコピン(・・・・)を構え、何度か素振りをして見せた。

 女王を相手に舐めきっている。むしろ、これでも不安なのかと言いたげな表情。

 

「それとも? 一歩も動かない方が良いのかい?」

 

「そう思うならやって見せろ!」

 

 瞬間、京香さんの〈モリガン〉が跳ね上がり、一発の弾丸は放たれる。先程と比べれば極少サイズ。しかし、私の魔力絶対量を軽く凌駕する魔弾!

 空気を貫通して迫る弾丸を、予告どおりデコピンで弾く魔王!

 しかし、すでに京香さんは肉迫を完了。弾丸を放ったと同時に〈(しゅく)()〉で移動をしていた。

千里を一里に縮めて駆け疾る体術。中国拳法でも〈(かっ)()〉とも呼ばれる。〈空間転移〉と違って、魔力を感付かれるというデメリットの生じない。魔術に慣れた人間には意表で信じられない技術体系からなる技法。

 肉迫を完了した京香さんは、すぐさま足を根こそぎ刈取るかのような水面蹴りを放つ!

 両足を掻っ捌くほどの風切り音を発した蹴りを、魔王はそれすら解りきっていたのか、鼻を鳴らして身体を屈め、デコピンを放つ! 京香さんの脛から凄まじい撃音が響いた。確実にヒビが入ったと解る亀裂音が、ここまで響いた。

 しかもデコピンの威力が凄まじく、京香さんの身体は逆回転を描いてしまう。

 

「くっぅ!」

 

 回転をそのままとし、ヒビの入った左足を軸にして竜巻の如く放たれた右の逆回し蹴りへと高速連動! コンクリートを力任せに砕く脚力と最少の動作で放たれた最速の一撃。それすら、天と地の差を見せつけるようにデコピンで弾き返してしまう。

 体制を刹那で整え、すぐさま〈モリガン〉の銃口を至近距離で発砲!

 しかし、黒白の魔王は弾丸が放たれるその一瞬前には、銃身をデコピンで弾き、標準を反らす作業を行なう。

 構えた先から銃身は弾かれ、魔力の火花が咲き乱れる中、黒白の魔王はチラチラと京香さんの足へと目を写す。

 

「足にヒビが入ったかな? ダメだぞ? ちゃんとカルシウムを摂取しなきゃ? 牛乳と一緒にプロテインを飲むといい。ちゃんと植物性たんぱく質で、アミノ酸スコアが百と書かれたモノじゃなきゃ意味が無いからね? あれ? 確か君は牛乳が苦手だったか?」

 

「何年前の話しだ! クソ野郎!!」

 

 ウィンチェスターは銃口を向ける先々で、魔王の指先に翻弄される。まるでダンスのリードのように。

 裂帛の呼気を吐いて弾丸を撃ち続けるが、その一つすら掠り傷も与えられない。既に計五〇発を放射中――――銃の特性で魔力が続く限り魔弾を作り続けるが、その術者にだって限界は必ず来る。

 

「もうそろそろ、飽きてきたな・・・・・・・・・」

 

 眠たそうに欠伸を噛み殺し、銃身を指で弾く魔王。

 

「眠たきゃ、寝かせてやるぞ!」

 

 猛獣のように吼えながら、引き金をしぼる女王。

 

「寝るのは五月蝿い〈蝿〉を叩き落してからにするよ」

 

 世間話をするように言う。

狂乱する火花の中、魔王は思い出したかのように眉を寄せた。

 

「そう言えば・・・・・・・・・今の君は《最強》とか呼ばれているらしいね?」

 

「それがどうした!」

 

 裂帛の呼気と共に銃口を突きつけようとするものの、銃身は片っ端から指先一つで弾かれていく。

 

「随分とレベルが低いな? 君が《最強》?・・・・・・・・・あんなに《惰弱》で、今でもこんなに《脆弱》の君が?・・・・・・・・・まぁ〜ぶっちゃけて仕方が無いか。君よりも《最強》に相応しかった大叔母〈郷華(きょうか)〉。〈黒天使〉よりも《最高》の能力を誇った〈バーン君〉。〈不死身鳥〉よりも《最上》の魂を持っていた〈彩歌さん〉。この三名は僕が捻り潰してしまったしね? 君ら三人はそのオコボレにあり付けたようだ。よかったね?」

 

 

 ――――レベルが低い? レベルが低いだと? 《真成る神》の名に相応しい実力を持つ京香さんが? 《神殺し》の三名が? 

 

 

「君だって解っているはずだ。今の君は、君の師匠である大叔母の〈足元〉へ、ようやく辿り着いていると? そして、この僕に勝る要素など何一つ持ち合わせていないことも?」

 

狂い咲く火花の中で女王を哄う魔王。しかし、女王の動きはさらに苛烈に、さらに疾くなっていく。魔弾を放つ銃口から炎が灯り、銃を振り回すたびにテールランプのような軌跡を残す。

 

「ふぅ――――」

 

 溜息を零す。まるで聞き分けの無い・・・・・・・・・妹を見るように。

 

「口で言っても無駄なら仕方が無い」

 

微笑み・・・・・・・・・だが、目は一欠けらすら笑みを作らず、銃身を指先で弾き――――瞬間を永遠にまで引き伸ばし・・・・・・・・・ピタリと、京香さんの額へ指先が添えられた。

 

「いい夢を」

 

 ――――悪夢かもしれないけどね?

 

挨拶を残し、指先が京香さんの額へ直撃する。

 ・・・・・・・・硬球のボールが金属バットの真芯を捕らえた音が響いた。

 ・・・・・・・・京香さんの額から血飛沫が舞う。

・・・・・・・・上半身が仰け反り、何の受身も取れず倒れそうになる京香さん。

 

「期待通りの弱さだったよ」

 

 手向けのように言い捨てて、背を向ける魔王。

 私は痺れたように動けない。私の遥か彼方の頂きにいる京香さんが、まったくの歯牙にも掛けずいる存在が信じられなかった。否、目の前にいること事態が間違いだと。

 

「お母――――!」

 

 知らずに悲鳴が喉から迸ろうとした瞬間――――女王の足が踏み止まる!

 

「おりゃぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!!!!!!!!!」

 

 獅子の如く勇壮な雄叫びを上げ、黄金の烈火を纏う拳――――〈天照〉という太陽を凝縮した右拳が背を向けた魔王へ向かう!

 

「うん?」

 

 首を向けた魔王の右頬に、太陽の拳が深々と叩き込まれる!

 頚骨は砕くという表現すら略奪し、骨肉の粉砕音は筆舌の有無を消し去り、重力という法則を無視して真横に吹っ飛ぶ!

 数千回の錐揉み回転! 床を削り、抉り、瓦礫の乱舞が炎に包まれ、一瞬の内に蒸発し、全てを飲み込む炎の渦が、倒れ付した魔王を中心に火柱を上げて広がる!

 しかし、女王の手は休まない! 〈モリガン〉にありったけの魔力をぶち込み、引き金をしぼる。

 爆音! 爆音! 爆音! 爆音! 爆音! 爆音! 爆音! 爆音! 爆音! 爆音!

 計十発の魔弾が火柱を穿ち、駄目押しの追い討ち!

 唸りを上げ、勝ち鬨のように火柱が暗雲を貫かんばかりに昇る。

 多少は離れているとはいえ、私の髪の毛が熱の激しさにチリチリと焦げていた。太陽がこの星目掛けて降りてきたかのような、灼熱地獄のこの場なら当然といえる。

ようやっと一息ついたのか、京香さんは真紅の髪を手で払い、額の割れた傷もそのままにして火柱を睨みつけながら唇を開く。

 

「贋モンだが、よく出来てるぜ・・・・・・・・・・・・〈本物〉も〈雑魚〉相手なら飽きが来て手を抜く。大叔母様の〈足元〉程度に手を抜いて正解だったぜ・・・・・・・・・」

 

 荒い呼吸。しかし、不敵不遜の笑みを零す京香さん。あの攻防自体がすでに賭け、相手が舐めて手を抜くまでを待っていた。そこに、会心の一撃を喰らわすまで。

 私は凶大なる敵の最後を確信し、深々と深呼吸をしよう――――「前言撤回だね・・・・・・・・・」と、したのに・・・・・・・・・悪夢のような静けさで、轟然と燃え盛る炎の中――――炎の渦を意にも返さず歩き・・・・・・・・・十発の魔弾を受けたダメージも無く・・・・・・・・・会心の一撃を喰らった痕跡は、ほんの少し腫れ上がった右頬。

 

「君は師匠の大叔母と〈同等〉のようだ。いや、頭一つくらい抜けている・・・・・・・・・・・・もしかして? 他の二人も〈同じ位階〉には昇っているのかい?」

 

 感心するように頷き、口の中をモゴモゴと動かして唾を吐き捨てた。血の混じった唾から奥歯が一本だけ・・・・・・・・・コロコロと転がる。

 

「カルシウムを取っておいて正解だった。じゃなきゃ、あと三本は奥歯を持っていかれた」

 

 

 ・・・・・・・・・奥歯の範疇じゃないし、カルシウムでもない・・・・・・・・・。

 

 

「君はようやっと、僕の舞台(ステージ)前に来たようだ」

 

 軽く首をストレッチしてから――――魔王はニヤリと京香さんを見て笑って・・・・・・・・・。

 

今度こそ(・・・・)名前(・・・・・)を覚えてあげるよ。君と、他の二人(・・・・・)もね? 何て名前だったっけ?」

 

 私は唾を飲み込んで、さきほどまでこの魔王が発した言葉を思い出す――――この魔王は・・・・・・・・・京香さんを、妹の名前を一度たりとも呼んでいない(・・・・・・)。神殺しの三名の名を。

 

「名前を呼ぶ・・・・・・・・・? ぷっ・・・・・・・・・」

 

 魔王のセリフに怒るでもなく、京香さんは噴出すように笑う。

 

「贋モンもここまで来れば立派なもんだな? あぁ〜?」

 

 虚像で偽者。しかし、それでも京香さんの記憶から引き出された。だが、その虚像の魔王は笑みを保ったまま口を開く。愚か者の過ちを見下げ果てたままで声に乗せる。

 

「では、問題だ。〈本物〉と〈虚像〉の境界線ってなんだい?」

 

 いきなり――――何を言い出すんだ?

 

「ありとあらゆる〈モノ〉は第三者が本物と認めることにより、〈本物〉となる。〈虚像〉は逆に第三者に認められない段階で〈虚像〉となる。〈我思う故に、我在り。我思う故に、他は在り〉。この概念が魔術の基本骨子だ。〈天使〉、〈悪魔〉、〈精霊〉は〈在る〉と認めている〈高次元存在〉。だからこそ〈人間〉が〈行使〉出来る」

 

 ――――魔術の基本骨子にして、〈退魔家〉の基本。

 

「そして私は〈本物〉が死ぬ瞬間を、この〈眼〉で見ている。よって、第三者である私の眼には〈良く出来た贋モン〉にしか映らない」

 

 小さく拍手する魔王。ニヤニヤと笑いながら両手を広げ――――この〈異界〉の風景を眺めなら厳かに、ゆっくりと唇が開く。

 

「そう――――君が〈僕〉を〈僕〉として認めていない。つまり、僕は偽者となる。虚像で偶像・・・・・・・・・・・でも〈他の第三者〉、そして〈究極の第三者〉の存在を忘れていないかい? 君や他の二人(・・・・・)が主張した言葉を根こそぎ捻じ曲げて〈存在〉している僕は何者だ? この〈異界〉を守り、守られている存在である僕はなんだ? そして、どうしてここまで〈異界〉が広がっている?」

 

 そんなのは簡単だ。この〈物〉は異界製作者が作り上げたただのコピーだ。そして〈異界〉が広がっているのは多分、霊脈の流れにそっているだけの話。

 そう心の中で答えを弾き出した私と違い、京香さんの背中は震えていた。

 

「まっ・・・・・・・・・・・まさか? 駿一郎とアヤメもこの〈異界()〉にいるのか!? 二人の記憶すら、想い出(トラウマ)も?」

 

 声をあげる京香さんに続いて、私も魔王を凝視してしまう。また――――あの底無しの恐怖をみせ付ける笑みが、口許にゆっくりと浮かび上がる。

 

「おしい。四〇点だ。残りの六〇点分は? ヒントは無しだ」

 

 京香さん以外からも、〈黒白の魔王〉の記憶を引き出されているという意味か?

 

「まさか・・・・・・・・・・・・誠の・・・・・・・・・〈魂〉からも? 否、それだけじゃないのか!? 誠以外の〈魔王〉もいるのか? この〈異界〉による〈究極の第三者〉――――磯部綾子は〈魔王の魂〉を持っている?」

 

「あと少し」

 

「異界・・・・・・・・・磯部・・・・・・・結界・・・・・・・・・の関連・・・・・・・・・! 磯部綾子は!? 〈怠惰の魔王ベルフェゴール〉を使役しているのか! 七大退魔家神城の? 〈夢魔の魔王〉を持っているのか? 〈霊脈〉を逆流させているのか!?」

 

 呆然とする京香さんの呟きに、魔王はニッコリと微笑んだ。

 

「〈霊脈〉にそって〈鬼門〉の内側から引っ張っている・・・・・・・・・? 〈口寄せ〉・・・・・・・・・死者の〈黄泉返り〉?」

 

 呆然と、私は自分の言葉が間違いであって欲しいと言う願いを込めて口に出す。しかし、魔王は指を鳴らして微笑む。この絶望が正解と言うように。

 

「そう。ここは異界。現世でのルールは遮断されている。何も死者が現れたって可笑しくない。でも僕と、僕と同じく〈位階〉を昇り切った(・・・・・)人間じゃなきゃ、この〈異界〉に来られないけどね。まぁ〜僕らの場合は、〈こっち〉から来たって言うのが正しい。ルールを守る代わりに、この〈異界〉に居れる許可を貰っている」

 

 魔王はクスクスと小声で笑う。不気味さを孕んだ笑みを見せつけながら、京香さんへ視線を戻す。その眼はまったく、一度たりとも笑っていない。

 

「もうこんな機会は滅多に無いしね? 失礼の無いよう、〈全力〉で戦ってあげよう。確か――――京香だったっけ?」

 

正輝の背に存在した炎が、弾けて消えた。身体が脈動し、骨格が変貌し、筋肉が豹変する。暗黒の甲殻が全身を覆い、魔王が形成されていく。

 

怒髪と天を貫かんばかりの角が頭に生え、顔を覆うマスクは薄っすらと笑みを象り、眼は狂気と血よりも紅い双眸。

誠は全身をスタッズで形成した甲殻と違い、〈黒白の魔王〉は拷問道具のようなスパイクが身体中に覆われている。

闇すら飲み込むような翼は一二枚。翼の端にピアスのような輪から鎖が繋がっている。

 

「【ふぅぅ――――】」

 

 吐息すら蒸気・・・・・・・・・そのマスクが四方向へ金属音を響かせながら開く! 中からSFホラーのエイリアンを彷彿させるような、禍々しい牙が並ぶ口が外気に触れ――――。

 

 

「【ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォオウ!】」

 

 

 怒号を放った。

この世全てに向けて。

この世全て在るモノ全てに。

破壊尽くし、殺し尽くし、無に帰すと宣言するように。

誠の怒りが・・・・・・・・・児戯に見えてしまう。そればかりか、怒号を上げただけで私の左手が石へと変わっていく!

 慌てて符札を取り出して結界を発動させるが、発動し終えた頃には左腕の肘上までに石化現象が進んでいた。

 

「なっ? 何? 声だけで!」

 

 どうして? どうしてこんな現象が起こる? 魔眼や邪眼の類なら解る。神話の時代に眼を見るだけで、石化出来る女神は〈存在〉する。だが、声だけでそれらを超えている存在など、神話を紐解いても誰一人として該当しない。

 

「落ち着け。〈魔王化〉したら眼を合わせたり、声を聞いたりするだけで呪術が幾重にも展開される。私が知る限り猛毒、石化、自然発火、即死の呪術が展開される。ただのトバッチリだ。気をしっかり持てば何とかなる」

 

つまり、〈獣化現象〉のトバッチリだけで〈大量虐殺〉するというの!? 【憤怒の魔王(サタン)】は!?

 

「【あと目眩、吐き気、腹痛、便秘、下痢、腰痛、肩コリなどの、美容の天敵要素が多々ある】」

 

「テメェのせいか!? この肩コリは!」

 

 京香さん・・・・・・・・・いちいち噛み付かないで・・・・・・・・・私、京香さんほど〈障壁〉強くありません・・・・・・・・・今、クラっと目眩がしました・・・・・・・・・毒も入っているみたいです・・・・・・・・・。

 

「【さて? 全力で君も闘いなよ? この〈本物の黒白の魔王〉が全力で尽くしてあげるんだ? 必死になって死に物狂いで僕の敵になりなよ? それでも命は助かるんだ。綾子君のルールでは殺しはご法度。ただ眠らせるだけだ。だから隙の多い大技も使い放題だ。精々僕を楽しませてくれ。僕を喜ばせてくれ。髪の毛一本程度は傷付けてくれ。合格ラインは二秒。それまでに倒れなかったら、優しく蒲団と毛布も掛けてあげよう・・・・・・・・・】」

 

 女王を相手に見下し切った言葉・・・・・・・・・。言葉すら殺せるのに、殺さないという傲慢さ。

 

「しゃらくせぇ! ただで負ける気はねぇ!」

 

 吐き捨てて、不敵に言い捨てる。言下――――京香さんは疾駆! 縮地から空間転移! 空間転移から縮地の八重展開!

 京香さんの八つの残像が魔王を四方に取り囲み、その残像全てが〈モリガン〉の銃口が向けられていた!

 

 

「「「「「「「「クタバ――――」」」」」」」」

 

 

 逃げ場所無し。命中必至! 京香さんの声が八方向に響き、〈モリガン〉の銃口から爆音が響く場面を容易く想像出来る。

 

 

 

「【(シャッ)ァ!!!】」

 

 

 

 裂帛の声が京香さんの声を遮る! 四方八方の残像を残す魔王の腕が、京香さんの頭全てを鷲掴み、引き金を引こうとした京香さんのアクションを全て潰してしまう・・・・・・・・・。

 掴んだまま――――床へ向けて、後頭部に叩き付ける・・・・・・・・・後頭部に叩き付けてバウンドする京香さんへ、鷲爪の足で蹴り上げる・・・・・・・・・。

重力が真逆になるように、暗雲まで舞い上がる女王より疾く飛翔して待っていた魔王の打ち下ろしのボディーブロー・・・・・・・・・ジェット機のように白い雲を引きながら屋上を陥没する京香さん・・・・・・・・・・・・そこから舞い降りた一二枚の翼を持つ魔王は、無情非情の連打を繰り出す・・・・・・・・・・・・。

骨、肉、骨、肉、骨、肉、骨、肉、骨、肉、骨、肉、骨、肉、骨、肉、骨、肉、骨、肉と拳打の後、順々に砕かれ爆ぜる音が後に続く・・・・・・・・・・・。

血が、血が地面に・・・・・・・・・魔王の身体に血飛沫が付着していく・・・・・・・・・・・・・。

 

あれ? これは何かの悪い夢? 京香さんが何の抵抗も出来ずにやられるわけないじゃない?

そうだよ。強いもの・・・・・・・・・京香さんは。最強だもの・・・・・・・・・。

 

 

「【あれ? まだ原形がある?】」

 

 

魔王は首を傾げ、繁々と――――クレーターのように穿った穴から――――胸座を掴んで京香さんを引き上げた。

 ・・・・・・・・・ベージュのスーツは血だらけでズタズタ。糸の切れた人形のように動かない。

 

「【しかも爆発していないなんて・・・・・・・・・・・・驚きだ】」

 

 何を、言っているのか理解できない。

 

「【でも久しぶりに良い運動にはなった。合格ラインには脱落したけど、良く頑張ったよ。昔とは大違いだ】」

 

 そう言いながら、京香さんを飽きたおもちゃのように横へ放り投げる。京香さんは頭から瓦礫の床へと倒れ・・・・・・・・・伏せた顔から血が流れ出し、徐々に血の池を広げていく。

 

「【さてと? 次は君だね? 美殊?】」

 

 結界を張っているだけで、魔力の殆どを使っている。そして解いた瞬間には展開されている呪術に、息の根が止まる。

 だが、だが! 一矢報いたい! 玉砕でもいい! このふざけた男に向かって、渾身の一撃を与えて死ぬなら――――!

 

「【止めるんだ、美殊】」

 

 結界を解き、突貫しようとした私の出鼻を挫くように声を発する魔王。あまりにも、あまりにも悪夢だ・・・・・・・・・誠が私に心配するような声音に似た響きに・・・・・・・・・私は動けなくなってしまう。このふざけた魔王を相手に、誠と重ねてしまう。

 

「【君は僕に一撃与えれば本望だと思っているんだろ? でもね? 美殊? 僕と君との戦力差は、どれだけ開きがあるのかちゃんと理解しているのかい?】」

 

 ――――どうせ、戦車とアリ以下の戦力と言いたいのだろう。だから、どうした? それが何だ! 歯が折れようと鋼鉄に齧り付いてやる!

 

「【戦車とアリ以下の戦力差。と、考えている処で申し訳ないんだけど・・・・・・・・・君と僕との戦力差はぶっちゃけ、僕が宇宙。君はアミノ酸のプールでようやく細胞分裂を始めた新たな種だ】」

 

 直球でぶっちゃけられた――――何か・・・・・・・・・? 私はダニにも劣ると? 顕微鏡の世界ですら最下層?

 

「【プロテインも無い、カルシウムも無い、脊椎動物すらない君が、僕に歯向かえるわけが無い。ちなみにそこで倒れているきょ、きょ、きょっ・・・・・・・・・あぁ〜まぁいいや。僕の〈妹〉は辛うじて〈銀河系宇宙〉に漂っているかな? 人から見れば太陽程度だと思う】」

 

 住む世界が違う・・・・・・・・・最強を太陽程度と言い捨ててしまう。そして、思う? だと、思う? さらにしつこいくらいプロテインとカルシウム。

 

「【だから抵抗はしないでくれ】」

 

 言いながら徐々に近付く。近付くたびに左腕の石化現象は見る間に、左半身を覆っている!

 

 近付くだけで、近付いてくるだけで・・・・・・・・・。

 

「【僕は君を傷付ける訳にはいかないから】」

 

「どう・・・・・・・・・して・・・・・・・・・?」

 

 もう、唇すら石化が始まる。だが、聞きたい。何故、ここまで私を特別扱いするのか?

 京香さんはボロボロにした凄まじい魔王が、〈気紛れ〉で〈異界〉に舞い降りた黒白の魔王が、何故ダ二以下の私を特別扱いするのだろう? 納得できない。

 

「【それはね? 君にはちゃんと役割があるんだよ。誠にとって一番重要だ】」

 

 もう、結界越しに目の前で立っている。すでに右耳、右目、右肩以外の機能は石となっている。

 

「【確かに君はまだ細胞だ。でも進化する。それも劇的に、魔術世界の誰よりも速いスピードで進化し、誰よりも気高く強くなる。君が二五歳の誕生日を迎える頃には、真神家を再興している。真神家八〇〇年の歴史の中に名を刻む、偉大な退魔師の一人に列挙される。そして、その過程としての事件が近々起こる。その試練は僕が用意したけど、君なら大丈夫だ。きっと乗り越えられる。自分を信じ、誠を信じ、あそこで倒れている僕の妹を信じ、君の周りにいる人たち、君を支えた人達を信じるんだ。その試練を乗り越えたら・・・・・・・・・美殊? 君は素晴らしい女性に生まれ変われる】」

 

 今よりも強くなれると、魔王が託宣の如く宣言する。あの本のように全てを見透かすように。しかも全ての言葉に、禍々しい呪術があるのに胸が撃たれる。稲妻に打たれたように動けないほど――――私を見るその眼が信じていると語っている。

 

「【だから、機が熟すまで今はまだ無茶をしちゃダメだよ?】」

 

 幼い子供を諭すような柔らかい口調で、私の結界を触れただけで叩き壊し、ガラスのように舞う結界の破片の中を――――魔王の手は私の右肩に優しく置かれた。そこから石化は一気に疾走し、真っ暗な視界の中で私の意識は眠るように落ちようとする。

 

「【君は、僕の可愛い後継者の妹だ・・・・・・・・・〈家族〉を傷付けるわけにはいかないさ】」

 

 魔王と呼ばれようと〈真成る神〉――――やはり、身内と思う人間には甘いのか・・・・・・・・・魔の紅眼には庇護すらあった。

 

 

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